作品名:芸妓お嬢
作者:真北
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1−1

霜も降り、着物には綿を入れ防寒着とした。
夜九つの鐘がなり、不寝番の声が遠くから聞かれる。
「火の用心、しゃっしゃりやしょー」
拍子木が鳴り、野犬の遠吠えが聞こえた。
お珠は、雑魚寝の半玉さんだ。
「あー、こんな生活、憧れていたわ。きゃはははっ」
薄い煎餅蒲団にもぐり、ほくそ笑むのだった。
朝、七つの鐘が鳴り、お珠は一番に飛び起きた。
「お清、お竜、お紋、お美世、お里、お染音。みんな起きろ!」と、
お珠は、順番に起こして、身支度を始める。
半玉さんたちの一日は長い。
食事前に、掃除、洗濯、お手習いの準備、食事の支度と限りなくやることが多い。
でも、お珠はニコニコしている。
何しろ、お珠は芸妓の世界に自ら飛び込んできた「変り種」だ。
芸妓は、由緒正しい流派の流れを汲み、親から子へと芸を受け継ぐが、
芸達者が娘を連れてくる場合も無くも無いが、
厳しい世界の掟や風習は、なかなか受け入れがたい。
遊女とは、まるで違い、上流社会の武家や大旦那が遊ぶ高級料亭などで、
芸子遊びをするのである。
たまに、売春をする芸妓もいないことも無いが、お縄となり、罰として、
吉原に売り飛ばされるのである。
朝食は朝五つ。
それまでの約四時間。
お珠たちは、お琴に三味線、日本舞踊など、一稽古すませ、
食事後は、一本さん、お姐さんたち、いっぱしの線香代(料金)を
貰える芸者さんのお稽古を見学するのである。
お珠の飛び込んだ芸妓《げいぎ》の置屋《おきや》は、
大名行列がすれ違っても、まだまだ、余裕のある通りに面した置屋である。
その隣は、名のある老舗旅籠の白木屋旅館と言う。
その向いは、湯屋で門前町の湯と称し、
土産物屋や呉服屋大丸も立ち並ぶ、かなりの繁華街でる。
この頃、大名行列が行きかい、右から左からと交通は頻繁であった。
露天商や屋台も立ち並び、大名行列を見物する庶民も溢れ返っている。
大名行列は、一種の見世物のようで、誰もひれ伏したりはしない。
町人も荷物を積んだ車も、普通に往来していた。
旅籠の女将さんは、置屋に行き。
「半玉さんでもいいから、二・三人よこしておくんなさい」
半玉さんは、一本さんと違い、玉代が半分ですむので、半玉さんと呼ばれ、
見習いの芸妓さんのことで、京都で言う舞妓さんにあたる。
その夜は、あちこちに呼ばれていて、芸のできる半玉さんも一人もいなかった。
「それがね。今、家に残っているのは、お珠とお里、お染音の三人しかいないのよ」
「いいから、とにかくよこしてよ。今、家でいざこざがあってね。
それを、チャンチャンバラバラって、お侍様がやっつけてくれたのよ。
それで、ちょっとしたお礼がしたくて、お酌だけでもいいから、
綺麗どころがいることを見せて、どうにかいついてもらいたいって思ってさぁー」
調子のいい女将に、お珠たちの出番は、早くも訪れたのであった。

1−2

隣の名のある老舗旅籠・白木屋の女将直々のご指名では、断るわけにもいかず、
置屋の女将さんは、来て間もない、お珠とお里、お染音を呼んだ。
「お座敷がかかったよ! 支度をおしよ」
その声を聞いて、大喜びをするのは、お珠一人っきりだ。
「やったぁー、お里ちゃん。お染音ちゃん、お座敷よ!」
「お珠ちゃん。なんで、そんなに嬉しいの」
「小さな頃から、芸妓さんになりたかったのよ。
こんなに早く夢が叶うなんて……着物、着物」
と、お珠は葛篭《つづら》から綺麗な着物を取り出した。
その着物は、豪華絢爛。庶民が持っているような着物ではない。
「キャー! 何これ! 粋じゃない?」
「お珠ちゃん。あんた、いいとこのお姫様?」
「何いっていんのよ。もー、いいから、これ着て!」
葛篭の中から着物は出てくる出てくる。
お里も、お染音も、お珠から着物を借り薄化粧のまま、隣の白木屋に飛び込んでいった。

     *

時は、半時(一時間)ほど前のこと、大工の棟梁の隠居、留蔵が侍の若者を連れ、
白木屋にやって来たのだ。侍の名は、一ノ瀬数馬。脱藩藩士のようである。
留蔵は、白木屋の大きな門の向かいにある長屋の大家代行である。
彼は、木戸番に腕の立つ用心棒を探していたのだ。
侍の数馬に、声をかけたのはそう言ういきさつがあった。
数馬は、木訥【ぼくとつ】な侍である。
備前、岡山藩の花畠教場の出身で剣の達人である。
しかし、藩邸より無断で姿をくらませてしまった落ちこぼれ侍であった。
酒も飲めない、博打もはれず、遊女も買えない。
藩士仲間から鼻つまみものであった。
「お侍さんの世の中も、ごますりで大変なんだな」
豪華な料理を前に、数馬と留蔵は、年齢差を超え打ち解けあっていた。
そんな折。
白木屋旅籠に、旅の客が訪れた。
番頭が、お客がいっぱいになったと見て、暖簾《のれん》を仕舞い込もうとした。
その時、数十人の旅の侍が、傾れ込んできた。
「お侍様、申し訳ありませんが、手前どもの旅籠はもういっぱいになりまして……」
「なんだとぉー。もう、こんなに更けてしまっておるのに、別の旅籠へ行けと?!」
侍が、番頭を突き飛ばすと、番頭は頭から転げて柱にぶつけて頭から流血した。
ドヤドヤと、物凄い音が入り口付近でしたのに、留蔵も数馬の何事かと出ていった。
大家代行の留蔵としては、この場を収めたいが、相手の数が多すぎる。
「おのれ、我らを泊めんと申すのか?!」
「お客様、お泊めしたいのは山々ですが、
もう、いっぱいとなれば、お引取りいただきたいのですが……」
番頭は、流血したまま、侍たちに平謝りをしていた。
留蔵も、間に入りなだめようとしている。
しかし、この旅の一行、どこかで酒を飲んでいてどうにも言うことを聞かない。
「留さん。どうしましたか……」
番頭さんが、頭から血を流し、女将さんやらお女中さんも、
わなわなと震えている。その上、お客たちも、成り行きを見守っていた。
成り行き上、数馬はなんとかしなければと、侍たちの前に出ていくのだ。
「申し訳ないな。お客人たち、みんな怖がっているでしょう。
お引取り願えますかな」
「なんだ! 貴様!」
侍たちは、完全に暴徒と化していた。
「仕方、御座らん。これを使うしかないようでござるな!」
数馬は、剣を鞘《さや》ごと抜き顔の前で握って言う。
「こいつに、ものを言わせたくないのでござるが……」
数馬の抜いた剣の鞘には、名刀村正の刻印がされている。
侍たちの額に、冷や汗が流れ落ちるのである。

1−3

この名刀村正とは、徳川家康の祖父清康を切ったとされる名刀。
これを、持つ者は、ただものではないと、巷の噂すら流れている。
侍は、村正を嫌い持つ者はいないが、その切れ味は正しく名刀の名に偽りはなかった。
介錯《かいしゃく》には、村正をと申し出る者もいるという、よく切れる刀である。
そんな名刀を持つこの若い侍の素性はいったいどんな家の出なのであろうかと、
留蔵は考えるのだった。
しかし、酔いの回った侍たちは、なおも言う事を聞かない。
「では、御主の首の代わりに、髷を落としてしんぜようか?」
村正の鞘は音もなしにスーと下に下がってく。
顕れた白刃は、寒々とした輝きを放ち、背筋をゾクゾクっとさせる。
「この剣は、関ヶ原で多くの血を吸い、大坂の陣でも血を存分に吸った代物。
血を好む化けものよ。我が師より授かったが、
拙者としては、こいつに餌を与える気には、なりもうさんのだが……」
それは、居合抜きであった。村正は、一度抜かれたが、すでに、鞘の中に半分も収まっている。
カチャリと、鍔《つば》が納まる音とともに、狼藉《ろうぜき》侍の髷が土間にポトリと落ちた。
酔っ払い侍たちは、数馬の剣の腕が、尋常でない事を悟り、尻尾を巻いて逃げだしていった。
見物していた客人達の中から、歓声と拍手の渦が巻き起こった。
「すげーお侍が、こんな目の前にいるなんて……」
一之瀬数馬は、備前、岡山藩の花畠教場の剣豪第一の男であった。
しかし、ある事件を起こし、江戸番を志願し、単身逃げだして来たのである。
「この村正と言う剣は、持つ者の身を滅ぼすと言う。それは、本当の事でござったようだ」
「まぁー、まぁー、そんな事は、いいから、なぁー。どうでぇー。
この白木屋門前町横丁の木戸番に、なってくれねぇーかい?」
「えっ、拙者が……で、ござるか?」
数馬は、人からこんなに頼りにされたり、親しくされることが、
生まれてこの方一度も無かった。けっこう嫌な気はしなかったのです。
それどころか、女将も番頭もその他の客人達も、村正を恐れるどころか、
感謝感謝で、数馬はもみくしゃにされていたのである。
「いやぁー、村正ってみなさん、御存じないんじゃぁー?」
「いい刀ですねぇー。さぞ、名刀なんでございますね」
数馬は、それ以上、村正については語らず、
座敷に戻って留蔵との会話に花を咲かせた。
「数馬さん。すごい腕前ですねー」
「今は、天下太平の世。剣は、必要の無い時代でござる。
拙者は、戦国の世に七十年ほど遅く、生まれてしまいもうした」
「いやいや、今が良かったですよ。
戦国の世では、こんなに楽しむことはできませんでした」
そんな話をしているところへ、お珠たち三人がやってきた。
喜んだのは、留蔵の方だった。
「これは、今度、入った半玉さんたちじゃないかい」
三人は、お座敷が始めてなので、お侍さんにお酌して、
ちょっとした、お遊びみたいなことをすればそれでいいからと、
言われやってきていた。
しかし、源氏名《げんじな》など、芸名も付いていない。
お珠はとっさに思いつきで言ってしまったのだ。
「お嬢と申します。よろしくお願いいたします」
数馬は、お嬢と言う娘を見たことはなかった。
しかし、立派な着物を着ている。
町娘の持っているような代物ではない。
半玉さんであるのに、落ち着いていて気品まで感じる。
お珠は、お里とお染音に口三味線を頼んでいた。
まだまだ、三味線を弾くまで腕があがっていなかったからだ。
ふたりが、口三味線ならなんとかできるだろうと、
「では」と、一礼してお珠が日本舞踊を踊りだした。
お珠は小さな頃からしっかりとした旗本の稽古を受けていたので、
りっぱな踊りで口三味線ではもったいないできの踊りを披露していた。
しかし、その口で弾く三味と、合いの手が可笑しくて、留蔵も大喜びだ。
手を叩いてはしゃいでいる。
「おぉーーっ、これはこれは、素晴らしい」
しかし、数馬はお珠の背についている家紋を見つけたしまった。
「揚羽蝶《あげはちょう》の家紋、岡山藩池田家の家紋では……」
数馬の顔から血の気が引いていった。
なんと、こんな場所で君主と家来が出会ってしまったのである。
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