作品名:闇へ
作者:谷川 裕
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しばらく放置したがドアをノックする音は止む事が無かった。一定のリズムで木製の扉を叩いてくる。

「南さんだね?」

 ドアを開けるなり男が口を開いた。快晴だった。この時期にしては珍しい事だった。カーテンを閉め切っていた。外界の光を完全に遮っていた。
 南は両手でマグカップを抱えたまま曖昧に頷いた。まだどこかでアルコールが残っていた。強烈に濃い珈琲でそれを打ち消す。そして朝がやってくる。ドアを叩く音で起こされた事に多少の苛立ちを感じていた。

「早いね」

 男は腕時計に目を落とす。もう十時だが。南は男の言葉を気に留めること無くカップに口を付けた。酸味の強い珈琲だった。下の街から買ってきた。豆から引いて淹れる。時々つまらない事にこだわってみたくなる。
 客が来ることは珍しくなかった。時々ガイドを頼まれる事もあった。大抵は写真を譲って欲しいという物だった。

「車を走らせて欲しい」

 男は南をまっすぐ見据えて言った。カップを離し南は男を見た。客ではない。直感的にそれが分かった。どこかで眠っていた。身体の芯に何かが響いた瞬間だった。眠り、アルコールでも珈琲でも覚醒できなかった。

「朝早くから、こんな山奥に来て運転手探しかい? ご苦労な事だね。悪いが俺は写真を撮る事と、野菜を作る事くらいしかできない男でね。運転手が必要なら他を当たってくれ……」

 南が脚で木製のドアを閉める。男の磨き上げた革靴の先端がそれを拒んだ。わずかな隙間。ドアにできたそのわずかな隙間から男が覗いてきた。視線を交わす。強い物があった。

「断れない状況にある」

 男の爪先に力が入っていた。それ以上の力を南はドアに伝えた。軋む。木製のドアがキリキリと軋んだ。男の革靴にドアがめり込む。視線を外す事は無かった。男に苦痛の表情は無い。冷たい目をしていた。爬虫類のような目だった。男はそれ以上押し返してはこない。南の出方を伺っている。そんな感じだった。
 南が不意にドアにかけた脚を緩めた。ドアに出来たわずかな隙間、それが多少大きくなった。

「靴が凹むぜ」

「長野という者です」

 男が隙間から覗き込みそう名乗った。南はドアに背を向けまだ増築中のログハウスの中に入っていった。

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