作品名:地に足を着けて
作者:日向 完
■ 目次
地に足を着けて

日向 完

やっと会えた。本当に嬉しいです。先生に会えて。
 メッセで送った通りですが、十年前に七中を卒業して今は東京に住んでるんです。大学が東京だったので。卒業してから就職して、昨年の暮れに辞めてオーストラリアに来たんです。もう三カ月になります。今日は……聞いて欲しい話があって来ました。
 初めて先生の小説を読んだ時はまだ大学生で「短編傑作選」の作品の舞台が帯広ですごく気になってたら、同じ大正の出身で、二個上の剣崎孝志さんの従姉弟だって聞いて。剣崎さんはもうお嫁さんも子供もいるって聞きました。剣崎さんは酪農を継いで住所もそのままだったから、最初は剣崎さんに先生のこと聞いてみようと思ったんです。でも、いきなりそんなこと出来ないと思ってやめておきました。
 大学を卒業してからは、東京のパチンコ店経営の会社に就職しました。毎日自分の時間が作れない位へとへとで……二年で退社してオーストラリアに来て、ミクシーで偶然先生を見つけてメッセ送ったんです。本当に会えて嬉しいです。
 で……話なんですけど……どう思うか言って欲しいんですけど……ちょっと、つまらない話だと思いますが、聞いてもらっていいですか?
 昨年の十二月十五日に前の会社を辞めました。何の達成感も一切ありませんでした。
 仕事をなくすことで何もかもなくすような、そんな気持ちでした。
 その時上司に「お前は仕事から逃げるだけだ。せめて地に足を着けて生きるんだぞ」って言われたんですよね。
 誰にも見送ってもらえないで、荷物を袋に入れて職場を後にしました。
 その時の「地に足を着けて」という言葉がいつも私の大事な場面で出てきて、邪魔をするんですよ。
 ……どんな風にかというと、とてもテンションが上がったりした時に大事な場面でこの言葉を思い出して、そして全部どうでも良くなって投げてしまうような、そんな感じです。
 オーストラリアに来て、私は自由になったじゃないですか。私、携帯小説が好きで自分でも書いてみたくて、日本に帰ったらアップしようと思ってこっそり友達に黙ってノートに書いてたんですよね。プールに行った日、プールの場面なんかも入れようと思ってたら、突然に「地に足を着けて」っていう言葉が頭を過ったんですね。そしたら何かもう小説嫌だなぁって思ってしまって。プールの中で、私何やってるんだろうって思っちゃって。
 プールから出て煙草を吸ってボーっと空を見てました。その日寝る前にノートをゴミ箱に投げて、今は何も書いてないんです。オーストラリアに何をしに来たんだろう。今は友達の描いた色のない線画を眺めるのが好きです。それを見ながら日本での仕事を思い出すんです。
 一生懸命ホールを廻ったり遊技台直したり、任せてもらえる仕事も増えて行きました。朝の四時まで仕事して九時には出社した日もありました。寝る時間もありませんでした。ゴト師と呼ばれる不正グループが来たら皆で警戒してホール業務しました。それだけ頑張ったのに会社の経営が怪しくなったら肩たたきされるようになりました。まだ二十五ですよ? 信じられますか? やる気も無くなって、店内でヤクザが暴れても注意しなくなりました。本当に何もやらなくなりました。
「お前は、本当は仕事辞めたくないだろう」って、上司に言われたんですけど、
「そうですね。でも私のいるトコないじゃないですか」
 って、言いました。
「でも、お前なあ」と、上司は溜息ついて「俺だって同じなんだよ。でも今辞めたからって何になる? どうせこの会社は後五年持たないんだから、今辞めることないと思うんだ」
 と、いつも言っていました。私だってきっかけがなかったら、この上司と一緒に会社に残ったと思います。
 この上司は大学を中退してパチンコ業界に入ってもう三十九歳になる人です。本当の居場所がないという意味では私と同じだったと思うんです。私はこの人のことが好きでした。
 でも、今好きな人は違う人です。上司以上に好きな人なんて出来ないと思ってました。
 今、私のi-podに入ってる曲は、全部その人が好きな曲なんです。この曲をどんな気持ちで聴いてるのかなぁとか、どんな思い出があるのかなぁって思いながら聴くんですよ。
 その人は全然私のこと好きじゃないんですよ。何とも思われてない。良くて本当に友達。前の職場で一緒だった人です。その時はそんなに好きじゃありませんでした。
 考えてみれば大変な時にいつもそばにいてくれた人なんですよね。見た目はしっかり者です。でも、ヤリチンって周りから言われてました。私が知らない顔を持っているのは、わかってました。
 その人に会えなくなって、自分がその人を好きだったことに気がつきました。
 会いたくて、どうしようもなかったんですよ。
 その人に会いに行きました。その人は付き合っている人がいるクセに別の人と住んでいました。
「浮気じゃない。出会ったんだから仕方ない。どちらもそれぞれ好きで決められない」と、言っていました。
 一緒に住んでいた人が出て行って、私と住むことになりました。いつも二人で過ごしてとても幸せだったんですけど、その人は言うんですね、
「お前は友達だ」と。
 その時にまた「地に足を着けて」という言葉を思い出して、このままでいいのか? と思うようになりました。
 その人はまた別の人に興味を持ったみたいで、今も私と一緒に住んでいますが、私はシェアメイトです。本当に友達でしかなかったんです。
 好きって言ったことも言われたこともないです。せめて好きって言ってから振られたかったです。
 三月にシドニーでゲイパレードを見たんですよ。日本って、そういうのないですよね。ホモとかレズとか性同一障害の人とか、生まれつき両方の性別を持っている人とかって、腫れ物っぽい扱いだし、その人達だってほとんどカミングアウトしてない。カミングアウトしている人少ないと思うんです。カミングアウトしている人がテレビで立派なことを言っていても色物にしか見られない。マイノリティって小さくなるしかないんですよね。オーストラリアのテレビ番組でレズが司会してるのありますよね。女性のファンがたくさんスタジオにいるのが映ってました。観た時に、この国の自由さと宝塚っぽいモノを感じました。でもシドニーのゲイパレードを見て、すっかり見方が変わりました。
 自分の愛情を素直に表現することって、本当に素晴らしい。皆とても幸せそうで、堂々としていてカッコいい。感動しました。少し泣いていました。人間は本来こうなんだと思いました。
 パレードを見ている時にずっと好きな人のことを思ってました。気持ちを伝えようと、そう思った時に「地に足を着けて」という言葉を思い出して、只々愕然としてしまいました。
「地に足を着けて」と言われたら、もう何も出来なくなる自分がいます。
 先生はこちらでラグビーを観ましたか? 私はキアマっていう町で観たんですよ。日本で例えたら草野球のラグビー版みたいな大会に当時ホームステイしてた家のホストマザーに連れて行ってもらったんですよ。それまでラグビーって、あんまり良いイメージなかったんです。T大ラグビー部出身の上司は横暴で本当に嫌いでした。お客さんとして来てたC大ラグビー部の連中は態度悪くてやはり嫌いでした。
 実際観てみると、男っぽくて面白いって思ったんです。男っぽさが嬉しかったし、私もラグビーやりたいと思いました。
 友達のラグビーボールで遊んで楽しんでたら、その時やっぱり「地に足を着けて」という言葉が頭のどこかから出てきて、ボールを手から落としたんですよ。「地に足を着けて」という言葉に何もかも奪われている自分がいるんです。
 もうこの言葉が頭から離れない。読書をしようと本を開いても、将来について友達と話している時も、ミクシーやってる時も、オージーから告白されても、ナイトクラブで遊んでいる時も……私の頭はおかしいんじゃないかって考えている時も、死んじゃった方がいいんじゃないかって考えた時も、全部「地に足を着けて」と、思い浮かんで、もう何も出来なくなるんですよ。
「お前が他人の言葉に流されて生きているウチは、まともに生活して行ける筈がない」
 辞める前上司にそうも言われました。
「幸せになりたいのであれば、堅実に生きるべきだ」
 とも言われました。堅実ってどんな風だろうって考えたら、そんな時まで「地に足を着けて」という言葉が出てきて、全てが終わるんですよね。
 悪魔の言葉です。どうしたらいいのか、わからないです。
 実は、今こうやって先生と会って話しているのに、もう「地に足を着けて」って言葉が頭の中を回っちゃってます。とても無駄な気持ちの悪い話をしている気分です。でも、先生に聞いて欲しかったんです。好きな人の話も、パレードの話もどうでも良くなっています。すいません。
「地に足を着けて」って、何なんですか? 本当はどんな言葉なんですか?





 この初対面の女の話を黙って聞いていた先生と呼ばれる年長の女は、初めて口を開いた。





 私にもよくわからない……けれども、恵みのない大地に足を着けても仕方ないと思う。大地に恵みを与えるのは夢だと、私は思う。まず、あなたが足を着けようとしている大地に恵みを与えて下さい。じゃあ、お元気で。







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