作品名:行方知れずのアイツ
作者:ファブ・コバルト
■ 目次
渋谷のスクランブル交差点でアイツを見かけた。アイツはコートのポケットに手を突っ込んで駅のほうへ向かって早足で歩いていた。
アイツとは中学校を卒業して以来、十年以上会っていない。けど俺はその女がアイツだとすぐに分かった。信号が青になる前、道路の対岸で信号が変わるのを俯いて待っているその女から俺は目が離れなかった。
学校の帰りにアイツはよく俺の部屋に来た。俺たちはとくべつ会話をするでもなくそれぞれ漫画を読んだり音楽を聴いたりしていた。アイツは床に寝転がり黙って漫画を読んで、たまに俺の聴いている音楽を「へんな歌」と言って笑った。俺たちは恋人同士ではなかった。二人とも部活をしていなくて放課後の時間を持て余していただけだった。そしてアイツには高校生の彼氏がいた。
学校の近くの公園でアイツと彼氏が二人でいるのを見かけた事がある。アイツはタバコを指に挟んでいた。アイツは俺の部屋ではタバコを吸ったことはなかった。俺はアイツのことをほとんど何も知らないのだ、と思い、心の窓がとつぜん開き秋風が入り込んできたような寂しい気持ちになった。
普段ろくに会話もしなかった俺たちだけど、一度将来のことを話したことがあった。俺が、実は小説家になりたいのだ、と話すと、君ならきっとなれるよ、とアイツは言った。アイツはニューヨークかロンドンに行きたいと話した。行って何がしたいとかじゃなくて、ただ行って暮したい。そう言った。窓から射る西日がアイツの長い髪を照らしてキラキラ光らせた。俺はいつの間にか金色に輝くアイツの髪をジッと見つめていたが、なぜか急に悪いことをしているような気分になり、はっとして目を逸らした。
結局、俺は市内の高校に、アイツは都心の私立校に進学した。アイツとはそれきり一度も会った事は無い。
三年前に同窓会があった。俺は参加したけどアイツは来なかった。そのとき俺は同窓生からアイツの噂を聞いた。ニューヨークで暮しているとか、男と薬をやっていてパクられたとか、そういう話だった。新しい話を聞かされる度に、ああそうなのか、と妙に納得している自分がいたが、あるいは、それらは全てただのでっち上げ話だったのかもしれない。
俺はアイツに声をかける事ができなかった。濁流の様に押し寄せる人間の波を遮りながらただ立ち止まってアイツの姿を目で追っていた。すれ違い様、アイツは俺と目を合わせて微笑んだように見えた。「変な歌ね」と言うアイツの声がどこからともなく聞こえたような気がした。<了>
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