[馬の耳に風]

MAKING APPEND NOTE
上尾の人気美容室はブリス への返事
間人は元来所謂水飲百姓で、田地を有せず、他人の田を耕して生活する程度のものの称呼であらねばならぬ。平安朝頃の地方政治の甚だしく紊れた時代において、課役を避けんが為に私に僧となり、自ら公民権を放棄した所謂中間法師の亜流の徒が、三善清行の所謂「家に妻子を蓄へ口に腥※を啖ひ」ながら、他人の田を耕して依然農業に従事したもの、すなわち間人百姓であるべき筈である。彼らは一旦出家して公民の籍を失った。したがって姓氏を有しない。武家時代における農民が単に名のみを以て呼ばれ、特に領主から苗字帯刀の允許を得たものでなかったなれば、その姓氏を公称する事の出来なかった所以は主としてここにあると解せられる。彼らは勿論永く沙門の形態を持続する必要はなかった。それは平安朝末葉以来戸籍の制が全く紊れてしまったからである。その代り彼らは殆ど農奴の境遇にまで堕落してしまった。全国耕地の殆どすべては院宮社寺権門勢家の荘園となってしまって、彼らはただそれを耕作するの農奴に過ぎなかったのである。そしてその荘園が転々して武士の所領になってしまった後においても、農民は相変らずその下に蹂躪せられた。勿論その中には自ら荒地を開墾して所謂名負地すなわち名田を所有し、或いはそれを買収し、或いはそれを横領して、所謂名主となり、間人の境を脱出したものも多かった。

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