[新しく発言をつくる] [HPへ戻る] [馬の耳に風]

高田馬場の美容室、美容院

  高田馬場の美容室、美容院 高田馬場の美容室、美容院 2014/06/21 11:58:12 
高田馬場の美容室、美容院 [返事を書く]
そしてその有力なものは武力を以てさらに近隣の土地を併合し、戦国時代において一城の主と呼ばれ立派に武士になりすましたものも少くはなかったであろうが、多くは依然として他の武士の下に属し、所謂被搾取階級の地位を脱することが出来なかったのである。これらの輩を徳川時代には本百姓または百姓と呼び、これに対して全く田地を有せざるものを間人百姓と云ったのであった。谷苔六君の報告(「民族と歴史」九巻五号)によれば、防長地方ではそれを「門男」百姓と云い、或いは文字に「亡土」とも書いたという。両者ともにその呼び声から導かれた宛て字に過ぎないが、土地を有せざるものに「亡土」とはよく宛てたものである。これら間人百姓の中には、勿論他郷より流寓した所謂来り人の徒であって、他人の田地を小作していたものも交っている事であろう。それを「門男」と書いたのは門番をする様な賤しい男との積りかもしれぬ。
 本百姓または百姓と間人百姓との資格の定められた時代は明らかでない。しかし一旦その資格が定まった以上は容易に変更が許されなかった。たとい間人が努力の結果田地を有し、所謂高持となった後までも相変らず間人の地位に置かれた事は前引棟附帳の示す通りである。彼らは同一村落に住しながらも、氏神の祭礼、村の寄合、その他において権利の極めて少いものであった。その代りに義務の負担もまた少かった。阿波においては彼らは本百姓または百姓に比して正に二分の一の夫役を負担せしめられるに過ぎなかった。
高田馬場の美容室、美容院 2014/06/21 11:58:12

[馬の耳に風] [HPへ戻る]
新規発言を反映させるにはブラウザの更新ボタンを押してください。



[レンタルPHP] [無料小説] [DVD]