[新しく発言をつくる] [HPへ戻る] [馬の耳に風]

夙が守戸だとの説の反対者は

  夙が守戸だとの説の反対者は 錦糸町の美容室イメチェンをご提案 2014/06/17 22:18:40 
夙が守戸だとの説の反対者は [返事を書く]
 夙が守戸だとの説の反対者は、例の本居内遠翁の「賤者考」で、今もこの説を採っている学者もあります。内遠翁は紀州の夙部落の実際を調査して、夙の名のあるもの十の中で、一つは皮多、二つは付近に陵墓があるが、他の七つは全く陵墓に関係がない。しからばそれが守戸だという説は認め難い。思うに夙はもと「宿」とも書き、産所と同じく産婦がそこへ行って止宿した所で、その宿の場所が穢れたとして捨てられた所へ、浮浪民等が住み付いたのではなかろうかと云っております。
 しかしこの説は少し考え過ぎたものであります。夙がもと守戸であるからとて、すべての夙村に必ず陵墓がなければならぬ理由はありませぬ。守戸が既に守戸として実務を失い、その名も夙と訛って、その根原が忘れられ、隠坊や、掃除や、遊芸や、警固追捕などの職に従事する様になっては、それと同じ事をしている同等階級の特殊民に、夙の名が及ぶのは一向不思議のない事です。穢多の名義は後に述べますが、普通は餌取から起ったと云っております。しかるに餌取はもと主鷹司に付属した雑戸でありまして、そうどこにでもあるものでありませんが、彼らは屠殺をなすが為に、一般に屠者を餌取という様になり、はてはその語の訛りなる穢多の名が、一般に斃牛馬を扱うもの、皮革の工業に従事するものにも及んだのと同様でありましょう。
錦糸町の美容室イメチェンをご提案 2014/06/17 22:18:40

[馬の耳に風] [HPへ戻る]
新規発言を反映させるにはブラウザの更新ボタンを押してください。



[レンタルPHP] [無料小説] [DVD]