632さんからの問いかけ−その1【プラスα】 450 2006/07/28 02:19:03 ├632さんへ。 450 2006/07/28 02:42:47 ├@浄土真宗の教えの骨子は、そもそも何なの... 450 2006/07/28 02:43:31 │└re:@ 450 2006/07/28 03:39:24 ├A一切衆生必堕無間、という教えは浄土真宗... 450 2006/07/28 02:43:52 │└re:A 450 2006/07/28 04:32:25
Re: A一切衆生必堕無間、という教えは浄土真宗... [返事を書く] | ||
re:A > A一切衆生必堕無間、という教えは浄土真宗にはないのでしょうか? ないと思います。 そもそも仏教経典の中に、「一切衆生必堕無間」という言葉はありません。 > (浄土真宗では、死後の世界をどう扱っているのでしょうか?) ・親鸞聖人著『教行信証』、『正像末和讃』によれば 18願他力信心の人は、真実報土に生まれ、阿弥陀仏と同体のさとりを開く。 19願、20願自力信心の人は、方便化土に生まれる。 です。 (根拠は省略しました。必要あれば仰って下さい) ・蓮如上人著『御文章』によれば 「そもそも、開山聖人の御一流には、それ、信心といふことをもってさきと せられたり。その信心というはなにの用ぞというに、無善造悪のわれらが ようなるあさましき凡夫が、たやすく弥陀の浄土へまいりなんずるための、 出立なり。この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在 すべきものなり」(御文章 二帖目二通) とあり 他力のご信心を獲得した人は、極楽に往生できる。 他力のご信心を獲得していない人は、無間地獄に堕ちる。 です。 この親鸞聖人と蓮如上人の違いについて本願寺派のお坊さんに尋ねたところ どちらも正しいということでした。 どちらも正しいとは、どういうことかというと 19願や20願に誓われている修行ができる人は優れた人で、ほとんどの 人は、19願や20願の修行ができないから、蓮如上人が仰っているようになる。 とのことです。 本願寺派の救いは、死後の極楽往生を前提としているわけですが、 大谷派は一概には言えません。 死後肯定の方もいれば、死後否定の方もいます。 446さんとの対話の中でも触れましたが、死後のことは仏様まかせなので 死後があると思うかどうかは、信心の正否とは無関係なんだろうなと思って います。 | ||
|
├B浄土真宗の僧侶の方々は、何を目的に僧侶... 450 2006/07/28 02:44:17 │└re:B 450 2006/07/28 04:41:07 └C釈迦の教えは、何なのでしょうか? 450 2006/07/28 02:44:42 └re:C 450 2006/07/28 05:01:27